186号
2005年 11月号


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岩国市小学校音楽祭に参加!!
 
  11月17日(木)、秋晴れのお天気の中、端島の子ども三人と教職員で、岩国市小学校音楽祭に参加してきました。音楽祭には岩国市内から、18校の小学校が参加し、盛大に開催されました。端島の3人も、1100人のお客さんが見守る中、がんばってきました。
「音楽祭の朝」
 「う〜、どきどきするぅ!」

 朝、学校に集まった子どもたちの顔は皆、笑顔ではありますが、どこかこわばっています。それもそのはず、今日は、『岩国小学校音楽祭』の当日です。
 この『音楽祭』に出演するため、二学期に入ってから音楽の練習に取り組んできました。
 その後、運動会が終わってからは、毎日毎日、音楽祭のための練習でした。

「毎日くり返した練習」
 演奏する曲目は、『涙そうそう』と『上をむいて歩こう』の二曲です。たった二曲ですが、されど二曲。『上をむいて歩こう』は、運動会や柱島の学習発表会でも発表してきたので、子どもたちも自信を持って練習していたのですが、『涙そうそう』の方は今回が初めての披露ですから、練習でもずいぶん時間をかけました。
 木琴やリコーダー(たて笛)など各パートの楽譜は中上先生に頼んで作って頂いたのですが、子どもも教師も楽譜を読むのが苦手ですから、楽譜だけを見ていたのでは、なかなか練習が進みません。そこで、CDを聞きながら、子どもたちと少しずつアレンジを加えながら、練習を続けていきました。

「本番まであと少し」
 岩国港に着いたのは午前9時半でした。音楽祭は12時半からですから、少し時間があります。
 空いた時間を埋めるため、岩国市の科学センターを見学させてもらいました。
賞状にびっくり! 手作りエアホッケーで遊ぼう! これなんだろう?

 その際、夏休みの自由研究で作ったみいくんの「ゴムボート」(工作)が岩国市の科学展で佳作になったので、館長さんからみいくんに賞状をいただきました。突然のことにびっくりのみいくんでした。
 それから、科学センターで少し練習させてもらった後、お弁当を食べて市民会館へ移動しました。

「いよいよ本番だ!」
 正午。市民会館には岩国市の小学生や引率の先生、子どもの保護者の方たちが続々と集まり始めました。
 12時半。いよいよ開演です。端島小の出番はプログラムの2番目でしたから、教育長さんのお話や諸注意は、ステージの裏で聞きました。みんな緊張で顔がこわばっています。朝は、へっちゃらだったみいくんも、さすがに緊張してきたようでした。
 プログラム1番の柱野小学校は和太鼓による発表です。ステージの裏にもどんどんと勇壮な太鼓が響いてきます。その太鼓の音に合わせて、私たちの心臓の音も、いっしょになってボルテージが上がっていきました。
「プログラム2番、端島小学校。『涙そうそう』『上をむいて歩こう』」
 いよいよ端島小学校の出番です。
 いざ、ステージにたってみると、客席は大勢の人で埋め尽くされていました。100人以上の子どもにとっては狭いステージも、端島の6人にとっては広いステージです。
「これから端島小学校の音楽発表を始めます!」みいくんの元気いっぱいなあいさつから端島の発表が始まりました。
 1曲目は『涙そうそう』です。この曲では、海くんが木琴で、侑ちゃんと校長先生がリコーダー(たて笛)、みいくんが鈴で、私はギターです。そして、この曲でキーボードを弾くために、田布施養護学校の藤田先生が助っ人に来てくださいました。
 そして、2曲目は『上をむいて歩こう』です。この曲は、日本だけでなく、世界的にも有名な曲です。『上をむいて歩こう』では、海くんがリコーダー(たて笛)で、侑ちゃんとみいくんが鍵盤ハーモニカ、校長先生が大だいこで、藤田先生はタンバリンで、私はまたギターでした。この曲のはじめで、ハプニングがありました。それは、いざみいくんが鍵盤ハーモニカを吹こうとしたら、ハーモニカのチューブがスポッと抜けてしまったことです。けれど、みいくんは、そのことであわてず、チューブをなおして何事もなかったかのように、吹き始めました。
 もちろん、6年生の2名も、堂々とした演奏でした。失敗やらハプニングもありましたが、6人で最高のハーモニーが奏でられたのではないかと思います。
みんなで、心を合わせて、合奏しました。

「他校の発表」
 自分たちの出番がすんだあとは、岩国市内の様々な学校の合唱や合奏を聴きました。
 バケツやゴミ箱を使った、ユニークな合奏 迫力の吹奏楽とフラッグ

 大きな学校からは、150人や160人という、たくさんの子どもたちが参加して、合唱や合奏を披露してくれました。
 合唱は、100人以上いても一人一人のすんだ声がしっかりと響いてきてとてもきれいな合唱となっていましたし、合奏では端島ではとてもできないような様々な楽器が使われ、とても楽しい演奏でした。
 中には吹奏楽を披露してくれる学校もあり、その迫力に端島の3人は圧倒されていました。
 すんだあと、交流している装港小学校の子どもたちが端島の3人に声をかけてくれました。
 小瀬小や装港小のこどもたちには、端島の3人の姿はどのように映ったでしょうか?

「帰り道」
 終了後、帰りのタクシーを待っている時、藤田先生から、
「学習発表会、必ず行くからね!楽しみにしているよ!」
と言ってもらいました。
 そうです。子どもたちは、音楽祭が終わったら、次はすぐに学習発表会が待っているのです。
「がんばらなきゃ!」
 最後まで音楽祭に参加したので、帰りは最終便に乗って帰りました。帰りの船では、やっと、緊張が解けたのでしょう、3人ともぐっすりと眠り込んでいました。
 さっきまでいた岩国の町の灯りが、3人の子どもたちにほほえみかけているかのように、夕闇の向こうにゆれていました。
 ※音楽祭で発表した合奏は、学習発表会でもご披露する予定です。端島新聞をご覧の皆さん、ぜひ、学習発表会にお越しください。
 トップページでも紹介しているとおり、今年の学習発表会は,

12月10日(土)です。
子どもたちの作文より
  『まちがえるのっておおいんだな』

 ぼくはまちがえるのって、おおいんだなと思いました。
 ぼくはピアニカのせんがぬけました。

 海くんはリコーダーをまちがえていたし、ちがう子どもははたをおとしていました。
 ぼくはまちがえるのっておおいんだなと思いました。
 ぼくはがんばると思います。
 ぼくはまたやってみて、まちがえなかったらいいと思いました。
 ぼくはステージに立つと、人が千人いるかなあと思ってきんちょうしました。ぼくはせんがぬけてまちがえたけどどんどん、できるようになって、音楽さい楽しかったと思いました。
 ぼくはまたまちがえないようにして、また、音楽さいやりたいと思いました。


海 広
  『ああ、もう1回したいな』

 私は、「ああ、もう1回したいな。」と思いました。何をしたいかというと、音楽祭です。なぜなら、会場のみんなが波のように拍手してくれたからです。
 私は、
「こんなに拍手をもらうなんて初めてだからてれるな。」
と、思いました。
 どもところどころまちがえたので私は、
「あちゃあ。」
と思いました。私は、まちがえたところははずかしかったけど、楽しくできたのでよかったなと思いました。
 そしてみんなの演奏を聞きました。みんなどれもよかったなと思いました。私は、
「トランペットを使ってる、すごいな。」
と思いました。それは、トランペットは吹く時に、難しそうなのにトランペットを使っていたからです。
 私は「涙そうそう」と「上をむいて歩こう」をまちがえたので、もう1回したいなと思いました。
 音楽祭は、私にとっていい経験になったなと思いました。私は、多ぜいの人がいる時に、あせってまちがえたりするので音楽祭に出てよかったなと思いました。

侑 季 
  『いい思い出になったなあ』

 ぼくは音楽祭のために毎日練習してきました。練習では、木琴は時々まちがえたりしたけど、藤田先生にも、校長先生にもかんぺきと言われました。リコーダーは木琴よりはうまくできなかったけど、まあまあでした。

 でも、音楽祭の日になると、とても緊張しました。僕たちは2番目でした。
 1番目の人たちの演奏を聞いている時は、その演奏は太鼓を使った力強い演奏だったので、太鼓がどんどん鳴れば鳴るほど、心臓がどっくんどっくんしていました。
 そして1番目の人たちの演奏が終わってぼくたちが出ました。
 1000人と聞いていたけど、思ったよりも多く見えませんでした。でも、やっぱりあがりました。
 「涙そうそう」は、ソラレソーからまちがいがちょっとありました。「上をむいて歩こう」は、ぼくだけが演奏するところをまちがえてしまいました。
 まちがえてしまったけど、いい思い出になりました。また音楽祭に出たいなあと思いました。
 ぼくは音楽祭に出てみて、いい経験になったなあと思います。なぜなら、中学生になったら、たくさんの人の前でいろいろ発表する時に慣れなかったら、うまく発表ができないと思うので、音楽祭はいい経験になったなあと思いました。

海 輝 
編集後記〜さざなみ
昔の音楽祭の様子(左は中学校−小中合同・右は小学校−柱島・黒島と合同)
◆音楽祭に向けて練習している時に、1本の電話がかかってきました。かけてこられたのは、中国新聞の記者さんです。◆新聞記者という方々は、いつもアンテナを張り巡らされているようで、こんな片田舎の学校が音楽祭に出るということまで、よくご存じでした。◆「ところで、何年ぶりの参加になるのですか?」と聞かれ、「さあ、どうでしょうか?」と、学校の誰もが首をかしげました。昔、音楽祭(中学校)に出た時の写真はあるけれど、それが何年前のことなのか、そして、それが最後の参加なのか、誰にも分かりませんでした。◆結局、音楽祭の当日も誰も分からず、後日、校長室のアルバムで確かめると、昭和62年のアルバムには、小学校の器楽祭に柱島や黒島の子どもたちと合同で参加している写真を見つけることができました。そして、休校前に作成された『忘れ時の母校』に掲載されている写真を見ると、昭和61年の中学校音楽祭に参加していることが分かります。◆それらの写真を眺めながら、今回、子どもたちを音楽祭に参加させるに当たり、私が願っていた「びっくりするような人数の前で発表させる経験を積ませたい」ということや、「音楽祭に来てくれた人たちに、端島の子どもたちのすばらしさを見せたい」という思いを、きっと、今までおられた先生たちももっておられたんだろうと、指揮をとられるその後ろ姿や、楽器を手にされた先生方の真剣な眼差しから、感じました。◆時代はうつり変わっていきますが、今も昔も教師の子どもに対する思いは、変わらないものなんだなあと、しみじみ思いました。