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| みなさん、はじめまして。 |
みなさんはじめまして、清田和幸と申します。
前任者である、古屋先生のあと継ぎとして、4月4日に端島小学校に着任して参りました。
4月4日、朝端島の港に着くと、子どもたちが元気に出迎えてくれました。
4月7日は、挨拶まわりで島のお宅をまわらせてもらいました。どの方も、お忙しい中にもかかわらず、私を暖かく迎えていただき、本当にありがとうございました。
そして、4月8日、いよいよ新学期です。
着任式において、子どもたちが端島の詩を、元気いっぱい、気持ちを込めて朗読してくれました。その声の張り、真剣なまなざし、100人の子どもたちにだって決して引けを取らない、すばらしい朗読でした。古屋先生をはじめとする、子どもたちに関わってこられた先生方の指導の素晴らしさに感心させられるとともに、子どもたちの自身のすばらしさに、舌を巻いてしまいました。
さあ、これから端島小学校の新年度の幕開けです。
二人の元気な端島っ子と、私と、そして校長先生、浦浪さん、それに、陰になり日なたになり支えてくださる、島の方々と、いっしょに、端島小学校の新しい歴史を、いろどり鮮やかに、描いてまいります。
今後とも、端島小学校をよろしくお願いいたします。
この紙面をお借りし、あらためまして人事異動のお知らせをいたします。
このたび、人事異動により、岩国私立灘小学校より端島小学校へ転任してまいりました、清田和幸と申します。
なにぶん、若輩者ですし、右も左も分からない新参者ですので、ご迷惑をおかけすることも多々あると思われますが、端島小のため、端島の皆様のため、せいいっぱい頑張っていきますので、どうか、これから、よろしくお願いいたします。
2003年4月8日
追伸:端島小学校をのぞいてみたい方は、いつでもかまいません、どうぞ、遠慮なくお越しください。人数は少ないですが、最高の笑顔でおもてなしいたします。
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| TOPIX |
| 端島の思いで… |
4月10日、以前この端島小学校学校に勤めておられた、山根康男先生が訪ねてこられました。
その際、いただいたお手紙を掲載させていただきます。
『端島の思い出』
元端島小中学校在職者 山根康男
私が端島小中学校に在職していたのは昭和28年から30年頃まででした。そのころは、港も、大小の石が波打ち際にごろごろして、今思いますと、港の形態ではなかった様です。それでも大小の船が繋がれていました。
大きい船はカタクチ鰯(煮干しにする)を取る船で、大きいと言っても11トンくらいですが、この船が2艘と小舟が3艘で一つの船団ができていました。このような船団が、3組あった様に記憶しています。これらの船団が、潮の様子では、朝3時頃には出航します。その為に、これらの船が出航に際して、船団特有の合図を鳴らします。島は朝暗い中で、サイレンや鐘を打つ音など、にぎやかに響き渡ります。
合図があってしばらくすると、人の声、続いて、船のエンジンの音が島中に響き渡ります。
日曜日などには、浜の人から誘われて乗船し、出かけていました。そんなとき船の上で捕れた魚をおかずに、昼食を共にしたことも何度かありました。そのときの取れたての魚で食べた昼食のおいしかったことは今でも忘れません。
この鰯網の漁法は、縛り網漁法と言っていましたが、ここでこの漁法を簡単に説明しますと次のようにします。
まず、小舟でカタクチ鰯の群れを探します。見つけると小旗を振った合図を送ります。その合図に従って、2艘の網船が小船を取り囲むように網を入れます。網を入れた船は100メートルくらいの距離を保ちながら、島に向かって網を引きます。
約2時間近く引くと、引き船は網を絞るように近づきます。そこで目の粗い、ロープでできている部分を機械で巻き上げます。
巻き上げていくと2艘の船はやがて船部が並びます。すると最後の細い網の部分が現れます。このときは胸がどきどきします。
網が船のあいだにふんわり浮かぶと、ヤッター!大漁です。網の中は鰯の腹で真っ白です。
すぐに運搬船が横付けされ、とれた鰯を浜に運びます。
浜は今ではその姿は見られないほどに小さくなっていますが、その当時は今の何倍も広く、そこでは女の人たちが大きな釜に塩の入った湯を沸かして待っておられました。
鰯、はすぐに釜で湯がかれ、広い浜に置かれた干し枠に移され、その日のうちに干されます。この鰯網にも、鰯だけでなくいろいろな魚やイカなども入っています。これらは皆でそれぞれ持ち帰ります。私もいろいろもらって帰りました。
今と比べますと、豊かな海だったと思います。それだけに島の人口も多く活気が溢れていました。
しかし、その当時の島は不便でした。
連絡船は、岩国丸という30トンのポンポン船でスピードも遅く、岩国港まで1時間半かかっていました。その上便数も少なく、おまけに日曜は欠航です。従って、日曜日に出かけていくことはできませんでした。その上、夜はランプで、電話もありません。
こんな生活でしたが、子どもたちは元気いっぱいでした。また島の人たちも、当時のことを知っておられる方は、その当時のほうが楽しかったし、幸せだったと思っておられるのではないでしょうか。私はそんな気がします。
人の幸せは、ただの便利さではなく、「明日に夢がある」事ではないでしょうか。
私は、この瀬戸の海が、昔の豊かさを取り戻すことを、心から願っています。
終わりになりましたが、当時、多くの島民の方々の温かい心遣いと、もてなしは、今でも深く心に残る思い出となっています。
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今も浜を見ると、多くのゴミが打ち上げられています。
豊かな海を、海くんや侑ちゃんが大人になるまで、いや、その更に子どもたちの代まで、更にきれいな海として、残したいと、私も心から願います。 |
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| 編集後記 〜 さざなみ |
◆端島小学校に着任して、早1ヶ月。その間もうすでにいくつかの初体験を経験させてもらいました。
まず、保健の仕事。今までの学校では、保健室の先生がおられたので、数々の保健行事に自分が主体となって関わるということは初めてでした。その保健行事のはじめての仕事が、柱島に行く、健康診断でした。
けれども、私にとっては健康診断そのものよりも、漁船に乗って波をけってとなりの島に行くということが、とても魅力的でした。
まわりの空や海の青色の中、波を越える気持ちよさと言ったら、そりゃあもうたまりません。
けれども子どもたちは、「もっと波が高い方がいい。」と、まだまだ不満げです。さすが海の子!!
◆更に初体験と言えば、磯まわり。私など初体験のものでも、サザエにウニ、ナマコといった海の幸がいくつも手に入れられました。子どもたちはといえば、更にたくさんのサザエやウニを見つけ、その上海くんは、アワビまで見つけていました!!私などにとっては本当にビックリな体験です。
◆そして、何と言っても一番の感動は、風光明媚なこの端島の大自然、海です!!海の水のきれいさはいうまでもなく、その海が、太陽やまわりの島々、月などに彩られ、様々な表情を見せてくれることです。
この海を見ていると、何か自分が忘れていたものを思い出させてくれるように感じます。本当にのんびりとしていて、それでいて、豊かさとは何かを考えさせてくれます。
◆この場所で、これから、子どもたちといっしょに私も、様々なことを学ばせていただこうと思います。
子どもは2人、職員も3人とほかの学校と比べるとごく小規模ではありますが、町の学校にはない豊かさを日々味わいながら、学校生活を送っています。
これからも、この場所から、つれづれに思うこと、子どもたちの様子、島の四季を、よせてはかえすさざなみのように、皆さんにお伝えしていきたいと思います。
これからも端島新聞をよろしくお願いします。
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