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| 広島県比婆郡比和町立古頃小学校との交流記 |
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8月25日(土)・26日(日)、端島一行が広島県比婆郡比和町古頃を訪ねました。
6月には古頃のみなさんが端島へ来られましたが、それでは私たちもぜひということで実現したこの珍道中。
写真も交えながら、ご紹介いたします。
| ついに実現!! おじゃまします・古頃小学校 8月25日。今日は端島のみんなと古頃へ出かける日。9時30分に岩国港へ集合です。 かいくん、ゆうちゃん、みいくんに保護者のみなさんが上がってこられました。手には大きなスチロール箱。この中にはサザエやタコ、端島特産のお土産がいっぱいつまっています。以前、古頃のみなさんがお米や和牛肉などのお土産をたくさん持ってきてくださったことと、古頃のみなさんに大変端島の魚介類を気に入っていただけたことを思い出しながら、端島の保護者のみなさんが準備をされたものです。 …うーん。何だか縄文時代の人々が山越え谷越えはるばる行っていたという“物々交換”というのを思い出すのは、僕だけでしょうか。とてもあたたかいふれあい、これこそ人々のふれあいの原点のような気がします。 岩国港からは校長先生の1号車と僕の2号車とに分かれていざ出発です(分かれて、といっても僕の車は基本的に2人乗り程度の構造なのでもっぱら荷物運搬担当なのですが)。
途中安佐のサービスエリアで休憩などをとりながら、庄原インターに到着したのは午前11時30分。待ち合わせの時間に1時間30分前に着いてしまいましたが、これは予定通り。庄原近辺で食事をゆっくりとるという計画でしたから。 …ところが、なかなか食堂が見つかりません。なんといってもこの大人数ですから、ファミリーレストランにでもと思うのですが見つからない。いつもはあちこちで見かけるのに、こういうときにかぎって見つからない、まあ世の中こういうものです。 やっと見つけたうどん屋さん。喜んだのは子どもたち。特にゆうちゃんとみいくんは校長先生の車に乗り込んだ時から早くも「おなかすいた〜」コールを繰り返していたそうですから。とてもおいしい手打ちうどんでした。 午後1時。わざわざ古頃からまいちゃんとまりちゃん、そしてお母さん方が迎えに来てくださいました。 おおっ!6月の初対面以来、感動の再会か!…と思っていたのですが、子どもたちはちょっとテレくさそうにしながらも、ごくごく自然体。知らない人が見たら、この子たちが数回しか会ったことがないとは思えないでしょうね。庄原から古頃までは車で数十分。庄原の町並みも見えなくなる頃、車は山道へと入っていきます。すでに穂の太り始めた田んぼが続く山道です。
校舎の中も木のあたたかさに満ちており、黒い板に白い文字で書かれている教室札などは感涙ものです。 ゆうちゃんのお父さんがポツリと「端島の旧校舎もこんなんじゃったがのう」と懐かしそうにつぶやいておられました。 しかしこの古頃の木造校舎も近く取り壊され、新築が決まっているとのこと。荷物の搬出も終わり、すでにがらんどうになってしまった校舎に物寂しさを感じました。そんな中、1・2年生の教室だけは掲示物や黒板などがそのまま残されていました。端島の子どもたちにぜひ見せてあげたいという古頃小の伊達先生のおはからいです。 その教室で交流会をしました。この日は2年生のまりちゃんとまいちゃんだけではなく、古頃小1年生のゆうやくんとあいちゃんも参加してくれてとてもにぎやかでした。
最後にみんなで古頃の校舎の前で記念撮影です。長い間古頃の子どもたちを育んでくれた木造校舎。引退の直前にその堂々としたたたずまいに直接ふれることができ、よかったなあと思っています。 さて。一行はこのあと吾妻山へ。 今晩は吾妻山のキャンプ場でテント泊の予定なのですが… この続きは次回、『海の子・山のテントで大暴れ!(笑)』の巻にて。 乞うご期待。 《つづく》 |
| 海の子、山のテントで大暴れ!! 古頃小学校から吾妻山までは数十分の道のり。目指すは吾妻山国民休暇村です。 古頃の保護者の方を先頭に、車はぐんぐんと坂を登っていきます。途中から窓を開けるとひんやりとした風が入ってきました。天然のクーラーです。 休暇村では常設テントに泊まる予定です。毛布も、古頃のみなさんのアドバイスでちょっと多めにお借りしていたのが後々大正解でした。夜の冷え込みはそれはそれはすさまじいものでしたから。 さっそくテントの近くにバーベキューの準備をして、火を起こします。子どもたちといっしょに山すその散策に出かけたのですが、ちょっとした高原が広がっています。自分たちの立っている場所よりも下に雲が見えることに、端島の子どもたちは大感激(実は僕も)。それから子どもたちはおもむろに草原を転がり始めました。最初のうちは横向きでコロコロと転がっていたのですが、そのうちかいくんが猛スピードで前転をしながら山を駆け下りていくのにはハラハラしました。みいくんも山の下の方まで走っていったかと思うと突然フッと姿がいなくなったりして肝を冷やしました。
さて、いよいよ夕食の時間です。先日端島にみなさんが来られたときに持ってきてくださった「比和牛」。この美味といったら…我々がそんなふうにあまりにも喜んだからでしょうか、今回も古頃のみなさんはその肉を用意していてくださいました。本当にありがとうございます。
ところがです。やっかいなことに雨が降ってきたのです。それも、食事が始まったのを見計らったようなタイミングで。ちょっとやそっとでやみそうな雨ではありません。あわてて僕たちは木かげに逃げ込んだり、それでもダメだと分かるとテントの中に避難したりと大わらわ。 それにしても、こんな雨の中でも濡れながら僕たちのためにと肉を焼いてくださったり、あれこれ気をつかってくださった古頃のみなさんの思いやりが、雨で冷えた体にしみました。
夜も更け、花火も終わった頃、古頃のみなさんが帰られる時間がきました。(といっても、また次の日にいっしょに吾妻山を登っていただく予定でしたのでしばしのお別れなのですが)、それを知らないみいくんが号泣。せっかく仲良くなったまりちゃんとまいちゃんとお別れするのがさみしかったのでしょう、「さよなら」という言葉を聞いただけで大泣きをしてしまいました。 隣のテントで横になり、いつまでも続くみいくんの泣き声を聞きながらかわいそうになあと思いつつも、「やっぱりこの子たちをここにつれてきてよかった」と思いました。小さな友情、あたたかい人たちの思いやり、雄大な自然。彼らにとって何物にも代え難い経験であり、大切な思い出になってくれることでしょう。 誰もがそんな思いを胸に抱きながら、満たされた気持ちで眠りについたのでした。 その夜、吾妻山には一晩中雨が降っていました…。 次回は最終回、『吾妻山の誓い』の巻。 乞うご期待。 《つづく》 |
吾妻山の誓い
それにしても端島のみなさんは朝が早い。毎日2時頃から起き出して漁に行っておられるからでしょうが、この山でも5時半には行動開始。子どもたちもです。前日の宴の後かたづけなどが6時過ぎにはすでに終わってしまいました。しかし、寒い。バーベキューコンロで火を起こし、暖をとります。8月末に焚き火にあたるってのも、なかなかユニークな体験でした。 7時を過ぎて、古頃のみなさんが来られました。お休みのところおつきあいいただいて、頭が下がる思いでいっぱいです。 子どもたちは昨晩炊いて残ったごはんをむすんでもらって、近くの池のコイにあげに出かけました。よほど腹をすかしているのか、養殖場のハマチのように群がってきて空恐ろしいほどです。端島の子どもたちはコイが「ボラに似ている」と感心しきりでした。 2日目は吾妻山に登る予定でした。しかし雨は降ったし小さい子もいるしでどうしようかと迷っていたのですが、古頃のお父さん達の「せっかくです、登りましょうよ」の一言で決定! みんな勇んで出発しました。 吾妻山の標高は1239m。実際に登り始める地点は頂上から数百mぐらいでしょうか。まあこれぐらいなら子どもたちでも大丈夫だろうと思っていたのですが…やはり問題はみいくんです。僕の前をニコニコ笑いながら歩いています。しかしさすがに勾配もきつくなってきて、足取りも重くなってきました。ここまで来たからには、ぜひみいくんにも頂上まで登らせてあげたい。途中からはみいくんを肩車して登りました。小さい子でも肩車して登山というのはけっこうきついもので、汗が噴き出してきます。上に乗っかっているみいくんもさぞかし居心地悪いだろうと思いきや、キャッキャッと喜んでいます。強い子です。 途中でみいくんのお父さんと交替しながら頂上をめざしました。ところで他の端島っ子たちはどうしたのでしょうか。慣れない山歩きでバテて…はいないようです。山歩きのプロ・校長先生について頂上一番乗りを果たして喜んでいました。 さて。僕たちもようやく頂上にたどり着きました。感想を述べるならただ一言、「絶景」。月並みな言葉ですが一番ピッタリな言葉だと思います。 360度四方、ずいぶん遠くまで見渡せました。前日降った雨の影響もほとんどなく、ガスもありません。ずっと下界(?)に雲が見えました。端島っ子はもちろん、僕自身にとっても初めての眺望。この1239mという標高を登山するのは、自分のこれまでの人生で最高記録でした。 鳥取県の大山(であろう山影)を遠くに望みながら、大自然に溶け込んでいる自分を感じます。古頃・端島の子どもたちと、そしてそれを支えてくださる人たちといっしょにここまで同じ道を歩き、頂上からの眺望と達成感を共有できたことは、この夏最大の思い出となりました。
僕はこの吾妻山山頂でひそかに誓いました。これからも人々との出会い、ふれあいを大切にしていこうと。 世の中が殺伐となってしまった近年、ともすれば人々が昔から持っていた心のあたたかささえ揺るぎかねない現代だからこそ、子どもたちにはあたたかい心の交流を大切にしてほしい。子どもたちが目にし耳にするニュースは暗いものばかりだと嘆くよりも、僕たち大人が行動を起こし、子どもたちの心がふれあえる場を考えていかなければならないのではないでしょうか。 こうして古頃のみなさんとふれあえて本当によかったと思います。古頃小学校の伊達先生の子どもを思う気持ちが一通のお手紙となり、そこからすべてが始まりました。小規模という事情が転じて身軽なフットワークとなり、決して無理のない、そして中身の濃い交流が続いています。もちろんこれは古頃小学校のみなさんのご協力と、我々の活動をご理解いただき支えてくださる古頃・端島の保護者の皆様のおかげです。願わくば、この交流がいつまでも続いてくれればと祈っています。 最後になりましたが、今回の古頃旅行で大変お世話になりました古頃小学校の伊達先生とそのお嬢さん、古頃小の子どもたちと保護者の皆様に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。 《おわり》 |