3月16日(土)、平成13年度端島小学校・学習発表会が行われました。本コーナーでは、その発表会に向けて準備や練習をがんばってきた児童の様子や当日にお集まりいただいた端島のみなさんの表情などを紹介していきたいと思います。 

メインイベントはやっぱり「劇」! 
やるとなったら徹底的にコリましょう、楽しみましょう 
涙と笑いの演技指導
ボクのささやかな楽しみ
さあ、いよいよ本番だ!
子どもたちを育てるもの《最終回》


メインイベントはやっぱり「劇」!

昨年の学習発表会は「朗読」でした
 昨年、児童が1年生の時の学習発表会では国語の教科書の朗読を発表しました。発表に向けて練習をしていたということもあり、ずいぶんと上手な朗読を披露することができ、観客のみなさんからも盛大な拍手をいただきました。その時にみなさんが口々に言われていたことは、「昔を思い出すねぇ」「あの頃は劇なんかもあって、楽しかったのう」ということでした。
 そうです。端島の学習発表会といえば、やはり「劇」なのです。もちろんどこの学校でもこうした劇に取り組まれることはあるでしょうが、この端島ではちょっとばかりその「劇」の位置づけが違うのです。大変ありがたいことに、島のみなさんは学習発表会を楽しみにしていらっしゃいます。「去年はあんなんじゃったねぇ」とか「今年は何じゃろうか」などと期待をかけてくださっています。そうしたみなさんですから、子どもたちが演じる「劇」というのは単なる学習発表にとどまらず、島のみなさんに楽しんでいただく娯楽でもあるわけです。しかも、島に住んでおられる人々にとっては数少ない貴重な娯楽でもあるのです。

4月・初めての本格的な「劇」
6月・他校にて「朗読の発表」
 そういったことから僕の中には、「今年度の学習発表会では絶対に劇をやるぞ」という気持ちが彼らが2年生になってすぐの4月の時点ですでにあったのです。今日までの日々の学習も、どこかそうした「劇」を意識した取り組みが多かったように思います。毎朝の日課である「今月の詩」の朗読、国語の物語教材での徹底的な朗読練習などなど…ふたりの子どもたちはそうやってこの1年間、はっきりとした発音、抑揚をつけた読み方、人物になりきっての朗読を繰り返し繰り返し練習してきたのです。またこうした取り組みは、副産物(いえ、むしろこれを一番期待していたのですが)を生み出しました。物語を上手に朗読するためには、人物の心情を考えなくてはならない。場面の情景を想像できなければならない。物語の世界にどっぷりと浸かっていかなければ、本当に上手な朗読はできないのです。そうした活動の積み重ねの中で、自然と子どもたちは、物語を読みとる力も磨かれていったのではないかと思うのです。
 そして季節も11月。子どもたちはある物語と運命的な(?)出会いを果たします。
 「かさこじぞう」。この日本でもっとも有名な昔話の一つではないでしょうか。大まかなストーリーは誰もが知っている物語です。
 今年の学習発表会の劇は、この「かさこじぞう」で決まりでした。
 その理由の一つとして、この物語が国語の教科書に取り上げられているということ。11月の時点で子どもたちはこの物語を勉強しています。じいさまの気持ち、ばあさまの気持ちを読みとろうと必死でした。実はそのときすでに、子どもたちにとっては劇の台本の下読みが完了していたともいえるのです。ふだんの学習の延長線上に学習発表会があるという、理想的な展開でした。
 そして、我々がこの物語を劇の題材に選んだ一番の理由が、登場人物が2人ということでした。じいさまとばあさま。このほのぼのとした2人の登場人物を中心に描かれる物語…特別に時間をかけて役作りをする必要もありませんでした。こちらがすすめるまでもなく、“かいきじいさま”と“ゆうきばあさま”というキャスティングが決まっていったのです。


やるとなったら徹底的にコリましょう、楽しみましょう

 さて。テーマも「かさこじぞう」に決まり、いよいよ練習が始まったのが2月です。
 なんせ端島小学校は子どもも大人も合わせてたった5人。みんなが協力しなければ何もなしえません。たとえ校長先生といえども安穏と(?)してはいられないのです。幸いうちの校長先生はそういったイベントや子どもたちとの活動が大好きですし、浦浪さんにもまた、衣装作りから小道具製作まで本当にお世話になりました。いいえ、このお二人にはお世話になりすぎといえるかもしれません。なんせお二人ともコリ性なお方ものですから…(笑)。
 校長先生は主に大道具担当です。「かさこじぞう」に出てくる6人の地蔵さまなどは、校長先生の手作りです。
発泡スチロールは海で調達
 この地蔵さま、素材は発砲スチロールです。…え? こんな大きなスチロールがどこにあるのかって? 実はこのスチロール、島のあちこちにあるのです。いや、落ちているのです。これは元々漁で使うウキとして使われるもので、学校前の浜にもいつでも転がっています。端島の方が捨てられたわけではなく、どこからともなく打ち寄せられるゴミなのでほとほと手を焼いているのですが、こういうときにはとっても貴重な材料に早変わり(ちなみに運動会で使う巨大サイコロもこれで作りました)。これを校長先生は拾って来て、適当な大きさに切り、防波堤のコンクリートでガリガリと削って形を整えられました。見るとやるとでは大違い、ずいぶんな重労働だったことでしょうが、忙しい実務の合間をぬって製作をしてくださいました。しかも肝心な色塗りや顔描きなどの「花形作業」は子どもたちにやらせていただき、子どもたちは大喜びでした。また、劇の背景画作りにもたくさんのアイデアを出してくださいまして、見事なものができあがりました。これは、休校前に卓球の練習に使っておられたという道具に背景画を貼り付け、開閉自在に仕上げたものです。「校長先生は“アイデアの王様”(某おもしろグッズ店とは無関係です)だねぇ」と子どもたちも感心しきり。
これは「囲炉裏」の背景です これを左右に開くと… 「吹雪」の場面に早変わりというわけです

本格的に「衣装作り」
編み上げられていく本物の「みの」
 衣装・小道具の準備は浦浪さんにお願いをしました。じいさま・ばあさまの「古式ゆかしい衣装」や、わらで作った「みの」に「わらじ」、「しょいこ」は本当によくできた力作です。衣装はサキヨおばあちゃんがとっておかれた昔の衣装をゆずっていただいたりしたのですが、それですまさないのが浦浪さん。じいさま・ばあさまの“貧しさ”を演出されるためにわざわざ端切れでツギまで当てられる念の入れよう。脱帽です。じいさまが着る「みの」も、僕は大きなビニール袋で作ろうかなんて考えていたのですが、浦浪さんには「うんにゃ、それじゃおもしろうない」と即座に却下されてしまいました。そして、わらを手に入れてこられると、昔ながらの「わらみの」を作ってくださいました。時代考証的にも見事な小道具の数々には子どもたちも大満足。中途半端に古くさい格好は「イマイチ」なんて思うのかもしれませんが、ここまで徹底的にこだわって古さを演出すると「カッコいい〜」って感じになるんですね。すごいぞ、昔の日本人。
 こうしたみなさんの「こだわり」は、子どもたちにとってもよい影響を与えてくれています。大人が一生懸命になっている姿、しかも自分たちのことのためにがんばってくれる姿を子どもたちはいつも見ています。しかもその大人たちはとても楽しそうに仕事をしているのです。ちっとも面倒くさそうじゃなく、楽しそうに。そして、その仕事ぶりには妥協がありません。「ここらへんでいいだろう」「まあ、いいか」なんてことがないのです。
 おかげで、「やると決めたからには、徹底的にやろう。こだわろう。楽しもう」という、何事かを成すときに一番大切な意識が子どもたちには芽生えつつあります。今はまだ低学年ということもあって大人の手助けも多いのですが、学年が進むにつれて子どもたちの出番がどんどん増えていくとき、この校長先生や浦浪さんの姿を思い起こしてくれればと思っています。


涙と笑いの演技指導

 今回の劇「かさこじぞう」では、練習中に苦労したことはまったくと言っていいほどありませんでした。前述のように、すでに国語の時間に熟読した物語だったということもあり、セリフをほとんど覚えた状態で練習に入ることができたからです。セリフ覚えということに余計な労力を費やすこともなく、演技の工夫に力を入れることができました。
 ここでもやはり、この1年間の朗読学習が効果を発揮しました。抑揚をつけながら情感たっぷりに読もうとする意識が働いて、知らず知らずのうちに“役”にどっぷりと入り込んでしまう子どもたち。すっかり役になりきった時の彼らはスゴイの一言。「じいさま」「ばあさま」が空から降りてきてふたりの中に入り込んだような印象すら受けます。
 僕が幸いに思うことは、そうした子どもたちの“熱演”を笑う者がここにはいないということでした。ある程度の大きさの集団の中では、こうした一生懸命さ・ひたむきさが周囲の失笑を買うようなことがしばしば見受けられます。もちろん笑う方に問題があるのであって、実に寂しいことです。我々はこうした事態がクラスで起こったりしないような学級経営に努めるのですが、これもけっこう難しい。子どもたちには決して悪気があるわけではないと信じたいし、発達段階から見てもそういうことを口走ってしまう年頃でもあるわけですから。一方で、笑われてしまった子どものショックは大きく、はかり知れません。たった一度「クスクス」と笑われたことによって、二度と人前で演技なんかするもんか、自分の言葉で話すもんかなどとかたくなに思ってしまうこともあるのです。ここではそうした心配もなく、子どもたちは思う存分熱のこもった自分の演技に酔いしれる(?)ことができます。
 僕が今回子どもたちにした演技指導は主に、「見てくれる人たち=観客」を意識した演技をしようということでした。
 たとえば、じいさまとばあさまの会話の場面で、本当にふたりが向かい合ってボソボソと語っている。確かにリアルではあるかも知れませんし、テレビドラマではそれでいいのかも知れませんが、舞台で行う「劇」としてはどうでしょうか。時には観客の方を見て話したり、大げさな身振り手振りを交えたりといったことが「劇」の演技には必要なのだと思います。そんな、大人に要求するようなことを時折子どもたちに話して聞かせていたのですが、子どもたちはとてもよく理解してくれました。特にかいくんの絶妙な間の取り方、大事なセリフを言うときにグッと観客の方に視線を向けて注目を集めようとする工夫には驚嘆しています。あればっかりは押しつけられてできるようなことではありません。完璧に“じいさま”になりきり、じいさまの心情を理解しているからこそできる演技だと感心しました。そうしたかいくんの努力がゆうちゃんにも伝わるんですね。かいくんが一人で演じている場面では、舞台の袖で僕とゆうちゃんが「今日のかいくんはまた、一段とノッとるね」「ゆうちゃんも負けられんで」などと囁きあっていました。その後自分の出番に飛び出していくゆうちゃんのはりきりぶりといったら(笑)。ふたりはよき友であり、よきライバルなのです。

2年生という年頃ですでにふたりの双肩には
 ふたりとも劇の練習にはほとんど苦労をしませんでしたが、そのほかのことではずいぶんと苦労話もあります。
 学習発表会では「はじめの言葉」にはじまり、各発表の前後では発表内容の紹介もしなければなりません。最後の「お礼の言葉」ももちろん彼らの役目です。本来最上級生である6年生が引き受ける役目もすべて、2年生であるふたりだけでこなしていかなければならないのです。
 劇のセリフも覚えなくてはいけない。ピアニカも上手に弾きたい。その時々でちがう言葉、ちがう挨拶を覚えなくてはならない。毎年これが一番大変なのです。
 去年の子どもたちはよく練習で泣きました。覚えられない、できない、うまくいかない。そういっては泣いていました。
 子どもたちの中には「一生懸命やってるのにどうしてできないのかなぁ」という思いがあるのでしょう。しかし僕は、この一生懸命というものが彼らの真の実力だとは思っていません。まだ幼い子どもたちは自分たちの本当の力を知りません。限界を知りません。ひょっとしたら、全力を尽くすというのはどういうことなのか、それすらはっきり分かっていないのではないでしょうか。そういうことがよく分からないままに子どもたちに「主体性を重んじる」ということでポーンとすべてを任せるってのは、ちょっと違うんじゃないかなぁと僕は思います。大人でも、自分がやったことのないことを突然「自分で考えてやってみなさい」と言われるのはかなりツラいことです。今端島の子どもたちは、とにかくいろんなことを吸収しているところです。吸収しなければならない時期です。ですから僕は去年の練習の頃から、人の前で話すときの姿勢、心構え、声の大きさ、視線、前の人の発声からどれだけ間を取ったらいいかというようなことまで手取り足取り教えてきました。こういうことは、人生の中のどこかできちんと教わるべきことだと思うからです。小学校で大切な「基礎・基本」というのは何も、計算や漢字を覚えることに限ったことではありません。話し方、挨拶の仕方、発表の仕方などという自分の思いを相手に伝えるようなこと、表現するということも、人間として大切な「基本」だと思います。
最上級生としての責任がかかっているのです
 去年は慣れない練習に涙を流すこともあったかいくんとゆうちゃん。しかし、彼らは去年の学習発表会で惜しみない拍手と賞賛の言葉を全身に受けました。その喜びと感動を味わってしまったのです。どんなに苦労しても、涙を流しても、がんばったその先には素晴らしい達成感・充実感が待っているのだということを、子どもたちに身をもって体験させることができた昨年の学習発表会。その効果は、それはそれは大きいものでした。実際、今年の練習では涙を流すことなんかほとんどありません。セリフをとちっても、うまく演奏できなくても、「よーし、次は!」という思いが伝わってきます。ゆうちゃんは「くっそ〜」と口に出すこともあるほどです(笑)。ふたりは“壁”にぶつかっても歯をくいしばってがんばっています。彼らはもう知っているのです。この苦労・努力の先に、自分たちの限界を超えた世界があることを。今投げ出さずにがんばれば、自分たちはもっともっとできるようになるんだということを。
 こちらの思いに応えようと必死になってがんばる子どもたちの姿を見ていると、さらなる期待をしてしまうのが教師の性−さが−。今度はさらにレベルの高い“目標”を示します。するとまた子どもたちはその目標に向かって邁進する…。
 教師というのは常に子どもたちの力量を推し量り、子どもたちが自分たちの限界だと思いこんでいる、そのほんのちょっと先の“扉”の前で待ってあげるのが仕事なのかも知れません。時には背中を押してあげたり、手を引っ張ってあげることも。手を伸ばしても背伸びをしても届かないような“目標”は子どもたちにとって苦痛でしかありませんが、「あともう少しだ」「がんばれば何とかなるぞ」と思わせるような“目標”を設定できれば、きっと子どもたちは飛躍的に成長することでしょう。
 ただ…この、子どもたちの力量と絶妙なバランスの“目標”を見定めるのが難しくって…。
 経験不足の僕などは、日々頭を悩ませているのデス。


ボクのささやかな楽しみ

 劇の指導で楽しいのは、演技の指導ばかりではありません。楽曲や構成にこだわったりするのも指導する側としてはささやかな楽しみだったりします。
 今回の劇はオペレッタ形式ですることにしました。これは校長先生の奥様・信子先生にアイデアをいただいたもので、劇中にいくつかの歌が入ってくるというものです。それぞれの歌は劇のテーマに沿ったもので、たとえば、『吹雪の中の一軒家』『五つの編み笠』『じいさまは歩く』というごく短いものです。こういうのは僕の中にはまったくなかった考えで、「うーん、これは!」と感心してしまいました。また、信子先生にはアイデアを提供していただいただけでなく、これらの歌の伴奏をピアノで弾いていただき録音までさせていただきました。突然のお願いにもかかわらずサラサラっと弾いていただき、いや本当にさすがだなぁと思うばかりです。ここであらためてお礼を申し上げます。信子先生、どうもありがとうございました。
ビデオクリップのタイトル
 さて。ここからは僕の仕事です。子どもたちの歌声、ナレーションをデジタルビデオで録画してパソコンに取り込み、音声の部分だけを抽出します。こうした作業は今の時代、とても便利になったなあと思います。僕が小学生の頃などは、静かな放送室に児童が集まり息をひそめ、レコードをかけ、先生がガチャッとテープレコーダーの録音ボタンを押し、子どもたちの声を録音していました。とちったりしたらやり直し、BGMとのタイミングが合わなかったらもちろんやり直し。今思えば地道で大変な作業でした。幸い今はパソコンのおかげで、子どもたちの声とBGMを独立して録音し、後からちょうどよいタイミングに重ねて合成することが可能です。信子先生の名伴奏もパソコンに取り込ませていただき、子どもたちの声、それから場面に応じた効果音を重ね合わせて合成し、世界にたった1枚のオリジナルCD『端島版・かさこじぞう』を作りました。
ビデオクリップの一場面から
 僕はこうした一連の作業が楽しくて楽しくて仕方がないんですよねー。わりと昔からこうした劇なんかにかかわるのが好きでした。しかもどちらかというと役者として出演するのではなく、演出・効果・音響という仕事に興味がありました。教師という仕事をしていなかったら、こうした道に進んでいたかもなぁと思います。今回の学習発表会では、『端島小学校・この1年間を振り返って』というタイトルで10分程度のビデオクリップを作成し、島のみなさんに見ていただきました。ビデオに録画していた昨年の4月からの出来事を短くまとめたものです。3月に入ってから作り始めたので半分徹夜の日も何日かありましたが、不思議とこういうことは苦になりません。効果音を入れたり、タイトルテロップを入れたり、映像効果で悪ノリしてみたり、と完璧に“自己満足”の世界で楽しんでいます。
 「自己満足・大いにけっこう」というのが僕の持論です。教師自身が満足できないようなことは、子どもたちや多くの人々に満足してもらえるはずがありません。多くの人に満足していただこうと思えば、まず自分自身が納得のいく仕事をしなければと思うのです。(もちろん、自分のことばかり考えて周囲に迷惑をまき散らすような「自己満足」は論外ですけどね)
 「やるからにはやる。徹底的にやる。」…僕もこうした行動原理にのっとって動いています。ですから、大道具や小道具にあれほどこだわられる校長先生・浦浪さんに負けないように何とかがんばれました。
 懸命に演技練習をがんばるふたりの子どもたちと、それをサポートする3人の大人たち。5つの細い糸が絡み合い、よりあわされながら、『かさこじぞう』という大きな1本の“綱”を創りあげることができたのではないかと思っています。


さあ、いよいよ本番だ!

 3月16日。いよいよ本番の朝がやってきました。前日の予行練習も無事にすませ、あとは神のみぞ知るというところまできています。朝からえびすやさんにお願いして、島内放送でも発表会の案内をしていただきました。
 学習発表会には端島のみなさんと、そして思わぬお客さん方をお迎えしました。
 まず校長先生のお父さんと息子さんがわざわざ見に来てくださいました。端島の子どもたちががんばっている姿をぜひご覧になりたいとのことでお越しくださったのです。息子さんの遙君にはこれまでも運動会でお世話になったこともありましたし、島の人たちともすでに見知った仲です。
 当日端島に釣りに来ておられた方で、飛び入りで参加してくださった方もおられました。
 そして、お客さんは他にも。大阪教育大学の学生・浅川君とその友人・北口君です。なぜ大阪の大学生がはるばるこの端島に…? 実は、以前に端島のことをメディアを通じて知った浅川君がわざわざ本校を訪ねてきてくれたことがありました。彼は将来教師をめざしているとのことで、島の学校に興味があったそうなのです。何日間か端島に滞在している間にすっかり端島っ子とお友だちになり、本人曰く「端島のトリコ」になってしまいました(笑)。今回学習発表会の開催を知った浅川君は、友人である北口君を誘い、はるばる大阪から端島までやって来てくれたのです。子どもたちは喜びました。もちろん僕たちにとってもこれほど嬉しいことはありません。ほんの偶然から生まれた人と人とのつながりを、大切にしてきてよかったと思いました。本番を前に緊張気味の子どもたち。見知った人々が自分たちのために来てくれたという思いが、どれだけ彼らを励ましたことでしょうか。
 開演時刻の午前9時30分には20人以上もの人々がズラリと勢揃い。さあ、いよいよ本番だ。がんばれよ、ふたりとも。
 …ここからは、当日の写真を掲載します。(ちなみにこの写真は、ふたりの大学生が記録係を快く引き受けてくれたので撮影することができました。浅川君・北口君。本当にありがとう。)


 子どもたちは本当によくがんばりました。たくさんの方々の応援を受けて、昨年度よりもさらにハイレベルな発表を成功させることができたことを、自分たちなりに確信したのか、子どもたちの笑顔もまた満足感にあふれていました。
 見に来ていただいた多くの方々からも、
 「ようがんばった。ほんにようがんばった」
 「えろうなったもんじゃのう」
 「また来年もくるけーね」
と子どもたちに最大級の賛辞が…これまでの苦労が報われ、練習に明け暮れた日々がよき「思い出」・新しい「自信」となった瞬間です。
 この日の感動は彼らにとって、新たなる成長の大きな原動力となることでしょう。この「自信」という加速力を減速させることなく、子どもたちが飛躍的な成長を遂げられるようにこれからも見守っていきたいと思います。


子どもたちを育てるもの(最終回)

「舞台」が育てる

 僕はこうして2年間、端島の子どもたちの成長を見守ってきました。彼らは数々の大きな「舞台」を足がかりにしながら、着実な成長を遂げてきたように思います。運動会。学習発表会。交流学習。その他様々な公的行事にも参加をさせていただきました。若干の低学年でありながら、そうした出番・活躍の舞台に臨む機会を多く得られるということは、端島の子どもたちにとって「最大の幸福」であると常々感謝しています。
 本校は極小規模校ということでとかく「大変でしょう」「寂しいですね」と声をかけていただきますが、僕たちにとってこの環境は決してマイナスなものではなく、あらゆることが子どもたちの成長に寄与してくれるものばかりだと感じています。
 『島の学校』(学研)という本がありまして、この中に右のようなイラストが掲載されていました。ふたりっきりの児童。ひとりの教師。閑散とした教室。…あまりにもこの端島小学校そっくりなので思わず苦笑してしまいましたが、離島の学校・小規模の学校に対する人々のイメージは概してこういうものなんだろうなあと思いました。傍目から見ると、よっぽど「寂しい」「活気がない」ように見えるのでしょう。ですが、本校は確かにふたりっきりの児童とひとりの教師で授業が行われていますが、寂しいなんて感じたことは一度もありません。これは強がりでもなんでもなくて、「活気」などというものは人数の多寡に比例するものではないと思うのです。他校と自校とを相対的に比較することがすでにナンセンスです。ふたりの子どもたちは充分に「活気」に満ちあふれています。どんなことにも意欲的にぶつかっています。少人数だからこそ受けられる“恩恵”っていっぱいあるんです。
 大きな「舞台」で活躍する機会を与えられるのも、大きな大きな“恩恵”であり、その恩恵を一身に受けながら端島の子どもたちは成長しているのです。


「緊張感」が育てる

 しかし、こうした「舞台」「出番」をこなしていく児童の苦労は並大抵なものではありません。本来であれば上級生の姿を見て少しずつ学んでいけることも、彼らはふたりっきりで乗り越えていかなければならないからです。まったくイメージのできないことでも、彼らがやるしかありません。頼りになるお兄さん・お姉さんはいないのです。また、ふたりっきりしかいないわけですから簡単に投げ出してしまうこともできません。「イヤだから」「やりたくないから」という理由で逃げ出すなどもってのほかです。「学校を休んだらかいくんに迷惑がかかる」「ボクがあきらめたらゆうちゃんが大変」というお互いを思いやる気持ちがあるかぎり、彼らが物事を途中で逃げ出すことは決してないのです。
 やるしかない。投げ出すこともできない。そうした状況にいながらいつも真剣に、そして笑顔でがんばっていける。そこに彼らの強さがあるのではないでしょうか。
 慣れない大勢の人の前での発表や挨拶。肩には力が入り、足も心なしか震えています。そんな「舞台」がこの2年間に何度あったことでしょう。経験豊かな(?)子どもたちは、適度な「緊張感」が心身を奮い立たせ、好結果につながるということをすでに知っているのかもしれません。
 「ワクワクします」「ドキドキします」…近頃はちょっとだけその緊張感を楽しむ余裕さえうかがえるようになってきましたが、その姿もまた彼らの成長の証なのだと思います。



「人」が育てる

 今回の学習発表会のエピソードです。
 端島の高台に、福島トシコさんというおばあちゃんが住んでおられます。学校にも大変協力的で、地域参観日の日などもわざわざ足を運んでくださることもしばしばです。子どもたちといっしょに端島新聞を配りにうかがうといつも大喜びしてくださいまして、子どもたちも「福島のおばあちゃん」といって慕っています。
 そのトシコおばあちゃんが学習発表会の朝、開演時刻の9時30分頃に学校まで来てくださいました。それだけでも本当にありがたいことなのですが、おばあちゃんの話を聞いた僕たちは涙が出そうになりました。
 近頃足の具合があまり思わしくないおばあちゃんは、9時30分の開演時刻に間に合うようにと朝8時に家を出られたそうです。学校への道のりは島特有の急な坂道で、僕たちの足でも15分はかかります。その長く急な坂道を、おばあちゃんはたったひとりで歩いて来てくださったのです。自分のお孫さんが通っているわけでもない島の小学校のために。ふたりの子どもたちのために。
 会場で痛む足を伸ばしながら、他のみなさんといっしょになって拍手をしてくださるトシコおばあちゃん。発表を終えた子どもたちに「ようがんばった、ようがんばった。ほんにえろうなったねぇ」と声をかけてくださいました。校長先生も僕も胸をつかれる思いで「こちらこそ本当にお世話になりました」と頭を下げるのが精一杯でした。
 後日、この話を子どもたちに話して聞かせました。もちろん子どもたちにとっては初めて聞く話です。子どもたちは黙ったまま何も言いません。ゆうちゃんの目がキラリと光りました。かいくんはギュッと唇を結んだままうつむいています。ふたりともそれぞれに大きな感動を受け、こみ上げる思いをかみしめているようでした。
 トシコおばあちゃんをはじめ、端島の人々みなさんが子どもたちを応援してくださっています。このホームページを通じて知り合えた方々もたくさんおられます。そんな「端島っ子応援団」の存在をいつも子どもたちには意識していてほしい。感謝の気持ちを忘れないでほしい。その感謝の気持ちがあれば、子どもたちはこれからももっともっと成長していけることでしょう。しかし、もしも彼らが自分たちを支えてくれている人々の存在を忘れ感謝の気持ちを失ってしまうなら、この子たちの成長もきっと…。
 トシコおばあちゃんが言ってくださいました。
 「この子たちがこんなにえろうなったのも、学校やら先生のおかげです。ありがとうございます」
 とてもありがたい身に余るお言葉でした。ですが、学校だけの力で子どもたちがここまで成長したなんて僕たちはこれっぽっちも思っていません。学校に信頼を寄せてくださりいつも力になってくださる端島のみなさん、この端島小学校を応援してくださるたくさんの方々、そしてその激励に応えうるべく日々努力するふたりの子どもたち。みんなが力を合わせた結果なのだと思っています。

 本日、子どもたちはめでたく第2学年の全課程を修了することができました。
 来年度はいよいよ中学年である3年生に進級する子どもたちですが、これからもかわらぬご支援のほどを心からよろしくお願い申し上げます。


《おわり》